本書を通して、教会を中心とした当時のヨーロッパ社会を変えそしてキリスト教における大きなターニングポイントとなる「宗教改革」のきっかけを作ったルターがどのようにその思考へ至り行動したのかを理解でき、また「聖書」というものの存在について考えるきっかけとなった。
- 目次 - マルティン・ルター ーことばに生きた改革者
- 第1章 ことばとの出会い
- 第2章 ことばが動き始める
- 第3章 ことばが前進する
- 第4章 ことばが広がる
- 第5章 ことばを受けとめる
- 終章 ことばに生きた改革者
民衆と距離のあった「聖書」のことばを都合のいいように解釈し利用した教会と、「聖書」とだけ向き合い教会に背をむけても正しいと信じた解釈を民衆に伝えたルター。宗教改革のきっかけを作り、時代を一歩前に進めたルターと人物がどのような人間で、「聖書」とどのように向かい合い闘ってきたかを知るには本書を読むと大枠で知ることができると思う。
本書はルターという人物とその行いを良い悪いという視点ではなく客観的にとらえている。それは物事に絶対の正解は無くとらえ方により善にも悪にもなり得るという最も分かり易いテーマの一つである「宗教」に関わる問題であるからだと思う。
ルターは民衆を教会から解放したと同時に、新たに「聖書」により民衆を束縛したいえるのではないか。人々を救いたいという気持ちは結局、「聖書」を超えることができず、「聖書」の中でもがき苦しんだ生涯だったように思う。信仰にしらばれた生涯だったのではないか。
ルターの限界をそこに見たとき、人文主義の思想家エラスムスの著作の中の次のことばが印象に残る。
人間はある程度まで自由意思が与えられており、聖書の律法に書かれている決まりも、人間は自らの意思でその実現に努力すれば、ある程度までそれを果たすことができる
人間は自らの意思によりすべてを変えることができ、そこに意思があるならば自ら考えて行動することが大事であるという人間そのものあり方を示している。
本書を読み、キリスト教の歴史で大きな役割を担ったルターの生涯を知ると共に「聖書のことば」という”絶対”と信じられているものに疑問を感じてしまった。
マルティン・ルターを聖人のように言ってはいけません。
返信削除ルターは醜い顔ですね
フリードリッヒニーチェはマルティン・ルターをドイツ人の恥とまで言いいます。
挫折した,心の卑しい修道士にすぎません。
ドイツ農民戦争で、「(農民たちを)打 ちのめし、しめ殺し、突き刺させばいいのだ。それはまさに狂犬を人が殺さなければいけないのと同じことである。」15万人がしにました。)
この時、農民を裏切ったので、うそつき博士と言われています。(ドイツでは農民はカトリっくが多いのはこれが理由です。)
聖書も翻訳を口実に書き換え。
本来無欲の愛であるアガペーを性愛を意味するリーベに変え、欲望を果たすための結婚しました。
魔女狩りを推進し、「魔女に一切の同情をせずもっと殺せと・ルター」といいました。魔女狩りはカトリックよりプロテスタントの方が凄惨を極めました。
「ユダヤ人と彼らのウソを書き」ユダヤ人を迫害しました。(のちのヒットラーのホロコーストの原因とも言われています。)
信仰義認を主張しキリスト教自体を単なる免罪符にしてしまいました。
まさに憎悪と復讐心に満ちた人です。
彼こそ偽預言者で反キリストに違いありません。
彼こそは反キリストのサタンです。